バーとお酒の入門講座

バー初心者の方を対象に、バーならではのマナーや楽しみ方、お酒に関する基本や雑学、豆知識を書いていきたいと思います。バーに興味はあるけれど、何だか最初の一歩が踏み出せない、そういう方の一助になれば幸いです。

ラム酒の起源と歴史 後編

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 ラム酒の起源と歴史、後編です。前編はこちら。

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後半の目次。

 

アメリカ独立戦争とラム

 

  奴隷制度が下火になっていく過程で、アメリカの独立戦争が始まりますが、ラムはその火種のひとつとなっています。発端は1715年、フランス政府が自国のブランデー市場を守るため、植民地に対しラムの輸出を禁じました。しかし多くのアメリカの蒸留業者が秘密裏に買い手となり、ニューイングランドの植民地に渡りました。密輸を取り締まることは困難だったので、規制をかけるのみならず、密輸者を逮捕できなかった場合には買い手から税金を徴収することにしたのです。

  1733年の糖蜜法により、イギリス以外の国の植民地から輸入された糖蜜については1ガロンあたり6ペンスが課税されましたが、これはカリブ海諸島のフランス植民地に課される額の倍以上。要はフランス植民地からの密輸でなく、きちんと関税を払って糖蜜をイギリス植民地からのみの正規ルートで輸入しなければ大損する羽目になるよ、という半ば脅しのような法律でした。これは自由な貿易を阻害し、カリブ海諸島のイギリス人農園主を過剰に保護するものだとしてニューイングランドの蒸留業者の反感を買いました。

 案の定、ニューイングランド人は密輸を続け、検査官に賄賂を渡すなどして買収、収税官を脅迫。そうして役人が堕落して納税を拒否する人が増えると、次第に独立を望む世論が高まっていきます。

 こうして糖蜜法は結局失敗に終わり、代わって1764年に砂糖法が制定されると糖蜜への課税は緩やかになったものの徴税そのものは徹底化され、さらにはニューイングランドのラムはカリブ海諸島のラムに比べてイギリス本国では安い値でしか売れなかったので利益は激減。ラムの品質はどんどん落ちていき、イギリス本国への不満が抑えられなくなります。

 もちろんラムや砂糖以外にも火種はあり、そうして独立戦争が勃発すると、イギリスの植民地であるジャマイカやバルバドスからのラムや糖蜜の供給が絶たれる一方で革命軍の士気高揚のためのラムの需要が増し、それに応えるためにニューイングランドの蒸留所は無理矢理フル稼働。もともと低くなっていた品質がさらに下がることとなってしまいました。それを尻目に、国内で原料を栽培し生産することができ、ひいては国内に利益を留めることのできるウイスキーが愛国心を表現するものとして人気になっていきました。

 

船乗りとラム

 

 さてここで、少し趣向を変えて、船乗りとラムについてみていきましょう。まずは海賊。ラムといえば海賊のお酒、という連想をする人も多いかもしれませんね。なぜ海賊がラムを愛飲するようになったのか。教科書どおりに答えるならばラムが当時の船乗りの悩みの種だった壊血病に効くと信じられていたから、とするべきなのですが、皆さんにはぜひラムの語源についてのお話を思い出していただきたい。乱痴気騒ぎという意味のラムバリオン、別名悪魔殺し、その由来も格闘を意味する「スクラム(scrum)」、騒々しい、だらしないといった意味合いの「ラムバシャス(rumbustious)」という単語が並んでいたと思います。さらにラムの愛好家は喧嘩っ早いとする文書が残っている。これはもう、壊血病云々というよりは、そもそもラムは荒くれ者に好まれてきた、壊血病は後付け、とするほうがしっくりくるのではないでしょうか。そしてこれまでみてきた通り、海賊だろうが海軍だろうが、陸で暮らす人々だろうが、皆ラムの虜になってきたというわけです。

 さらに、こちらもこれまでみてきた通りということなのですが、当時のラムについては密造や密輸など非合法な振る舞いと隣り合わせだったためわざわざ証拠となるような文書は残っていないことも多いです。しかし非合法の代表格のような海賊に関することの方が、数は少ないものの文書を残していることもあるようです。「航海日誌」という形で、です。

おそらく世界でもっとも有名な実在した海賊であろう、「黒ひげ」ことエドワード・ティーチも次のような文書を残しています。

「とんでもない日だ。ラムが切れた。どいつもこいつもしらふ。混乱してる!悪事を企んでる。脱走を相談してる。そこで俺はごほうびを探して、酒をたんまり積んだ船を襲った。これでみんな熱くなる。かっとほてってくるんだ。そうすりゃすべてがまたうまくいくのさ。」

 悪事を企んでる、脱走を相談している、というのは船長に求心力がなかったとか、裏切りとかそういうことよりも、海賊船の乗組員はもともとは襲った船から強制的に連れてこられた人たちも多かったからだと考えられます。海上で襲われて乗っていた船が燃えたり沈んだりしたら、どのみち襲った側の船にしか居場所はなくなってしまいますから。その時はとりあえず命があるだけマシというということでやむなく海賊の一員となることも致し方ないかと思います。

 また黒ひげは人を威嚇するために火をつけたラムを飲むこともあったのだとか。確かに見た目に迫力や凄み、そして度胸を示すことはできたのでしょうが、反面、飲んだラムはアルコールが飛んだものになるわけで、実はさほど酔っ払わない。相手を威嚇しつつも酔っ払わないというのはなかなか策士なのではないかと思ったりもします。

 別の海賊の航海日誌もみてみましょう。イギリスの海賊船グッド・フォーチュン号船長のトマス・アンスティスが敵を捕らえて裁判の真似事をしてみた時、船員のひとりを適当に「法務長官」に任命。彼は裁判の弁論をこう結論づけたといいます。

 「船長、本来ならもっときちんと論じるべきだったのですが、ご存知の通りラムがなくなっておりまして。素面ではよき法など語れません。ともあれ、船長、この者を吊るし首に処してください」

 結論ありきのイカサマ裁判ではあるものの、色々な言い訳や大義名分にラムが使われていたことを示唆する証拠なのではないでしょうか。

 言うまでもなく海賊は荒くれ者の集まりなので、酒を飲んだらさらにそれはエスカレートしたようで、喧嘩は日常茶飯事、酔っ払って舵を取ったり、戦いの前にも泥酔したりと、船の沈没や一味の壊滅の引き金になることなどは珍しくなかったそうです。

 

 そうは言っても、ラムを軸にして評価するならば、無法者の海賊も、法を守って行動する商船も、同じ穴のムジナと言えそうです。商船の水夫は上司の隙を見ては積荷であるラムを盗み飲みしていたし、上司もある程度は見逃していました。あまりに厳しくしすぎると優秀な水夫が辞めてしまうのも理由だったそうです。やがてラムは海賊船や商船を通じてイギリス海軍へと伝わりました。ここで生まれたのが「グロッグ」です。ラムを船乗りの酒としてみたときに真っ先に名前のあがるもののひとつで、現代まで伝わるカクテルです。現代のものはダークラムのお湯割りにレモンジュースや角砂糖、シナモンスティック、クローブなどを加えたものですが、この時代ものは水またはビールで割られていて、後にレモンジュースやライムジュースが加えられるようになりました。名前の由来はイギリス海軍エドワード・ヴァーノンの仇名であるオールド・グロッグであルトの説が有力とされ、1730年当時でアルコール度数80度以上(!)とされてきた配給のラムによる悪酔いを防ぐために考案されたと言われています。

 船乗りとラムについて、最後にイギリス海軍における有名な逸話を紹介したいと思います。1805年、ナポレオン・ボナパルトが皇帝となったフランス・スペインの連合軍とイギリス海軍が制海権をめぐって衝突したトラファルガーの海戦。提督であるホレイショ・ネルソンの指揮もありイギリスが勝利を収めますが、ネルソンは狙撃兵の銃弾により死亡。兵士たちはイギリスで埋葬すべくネルソンの遺体をラムの入った樽に保存しました。しましたが・・・帰るまでに多くの兵士がそこのラムを盗み飲みしたため、到着した時には酒に浸かったネルソン以外、殆ど空になっていた・・・ということです。

 その後海軍のラムは「ネルソンの血」と呼ばれ、現在でも兵士たちに愛されているそうです。なんか美談のようになっていますが、どんだけ飲みたいんだと思わなくもないですね・・・。

 

禁酒運動

 

 19世紀に入ると、イギリスを皮切りに始まった禁酒運動がアメリカ大陸にも広まっていきます。ラムはこれまでもトラブルのもとと忌み嫌われる面がありつつも人々の生活の陰に日向に深く入り込んでいましたが、いよいよ法によって規制しようという動きが出てきたのです。いわゆる「禁酒法」というものです。禁酒法というと1920年から1933年までアメリカで施行されたヴォルステッド法が有名ですが、19世紀以降、各国で施行されています。しかしどれも人々の不満が密造や密輸を後押しする負のエネルギーになったり、または税収の致命的な減少を招いたりして失敗に終わってしまいました。その中で酒に溺れる人が「ラミー」と呼ばれた他、1920年のヴォルステッド法のもとでは「ラム」がお酒全般を指す言葉として使われるようになり、密造酒の運び屋は「ラム・ランナー」、それが大型船になると「ラム・ソー」、さらにそれが艦隊になると「ラム・フリート」、そしてそれを襲い略奪する船は「ラム・パイレーツ」と呼ばれるようになりました。ネガティブな名付けである一方、それだけラムが一般に浸透してきたことを逆に証明するものだと言えるでしょう。

 

第二次世界大戦〜現代のラム

 

 20世紀半ば以降のラムは、蒸留酒の世界でみればマティーニで人気を博したジンや、それに代わった無味無臭が売りのウォッカの陰に隠れる存在となってしまいましたが、ラムはそんなことはおかまいなし、といった自由な雰囲気があるように思います。

 実はラムというのはサトウキビを原料とした蒸留酒であること以外には確固たる定義はなく、またウイスキーなどのように法律でその製法が指定・保護されているということもありません。気にされるのはせいぜい各国のお酒に関する法律が守られているかどうかくらいのものでしょう。そのような背景もあってか、大戦後、ラムは世界各国で、特にサトウキビを栽培できる土地造られるようになりました。日本においても沖縄地方や小笠原諸島のものをはじめとして、一部本州でもラムが製造されています。

 

私にとってのラムの印象

 

最後に、私にとってのラムの印象をお話しして締め括ることにいたしましょう。

私の考えではとにかく一番カオス!なのがラムです。何がカオスかと言いますと、繰り返しになりますが、「法律による規制」「大企業による生産管理」が一番なされていないのがラムという印象です。サトウキビを原料とした蒸留酒であればラムと見なされるという、あってないような縛りなので世に知られていない銘柄が数多ありますし、ジン、ウォッカ、ラム、テキーラの4大スピリッツの中ではもっとも「地酒」感が強いと思います。

 バカルディやハバナクラブ、マイヤーズなどに代表される有名銘柄も多くありますが、やはり大企業傘下にないラムの生産量はまちまちで、日本に入ってくるタイミングも不定期だったりします。

 要は、良く言えば自由、悪く言えばテキトー。。。

でも、このテキトーさを楽しむのがラムを飲むのには一番の環境のような気がします。歴史や製法についてお話ししましたが、飲むときにはそれは一旦置いといて、夏の晴れた日に水着のおねーちゃんやら6パックのおにーさんやらを肴にクラッシュアイスやらモヒートやらでかる〜く楽しむ。傍に葉巻なんてあるとさらに良いのですが。夜にはストレートやロックでしっぽり。オーセンティックバーもいいですが、陽気な音楽のかかったカジュアルなお店もいいですね。

 お酒は楽しく飲むものとはいうものの、しみじみしたかったり物思いに耽りたかったりということもあるでしょう。お酒を飲むときの「楽しさ」というのは必ずしもテンション高めではありません。しかしラムは陽気な気分のときや、陽気になりたいときにぴったりのお酒かなと思います。

 

参考文献