バーとお酒の入門講座

バー初心者の方を対象に、バーならではのマナーや楽しみ方、お酒に関する基本や雑学、豆知識を書いていきたいと思います。バーに興味はあるけれど、何だか最初の一歩が踏み出せない、そういう方の一助になれば幸いです。

旅の記憶③Sydney〜Eden〜Melbourne

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  詳細は以下のmixi日記に書いてあるけれど、シドニーを旅立って大陸南東部の角にあるEden (エデン/イーデン)に一泊、メルボルンへの行程はこの旅の中で一番シビれるものだった。

 バイクのメンテナンス、とくに古いものの場合は特に大事。わかっていたつもりだけど、行き届かないことがある。メンテの素人では致し方ない部分があるから、そのためにプロがいる。プロに見せるのも怠った場合…痛い目をみることになる。
 メンテナンスの重要性。それは今回のバイクあるいはモノに限らず、この旅で学んだ大きな要素のひとつである。

 

 メルボルン到着直後にたどり着いたPCブースが日本語非対応だったけれど、まだアドレナリンが収まらなかったのであろう、とにかく経過を書きつけたくて英語で書いた。翌日に落ち着いて街を散策し、日本語を使える場所を発見したので改めて書き直したのが以下の日記。今回はmixiの転載の他に具体的に記した手記のようなものがあるので長いです。以下に目次を。

Sydney-Eden-Melbourneのmixi日記

2007年05月22日15:49「Melbourne Part 2(日本語)」

日本語使えるとこ発見したぜ。
という訳で昨晩の和訳+αから。

第一声。寒い。

本日の日記は波瀾万丈伝Part2をお送りします。

5月20日

シドニーを朝9:00に出発。
俺もバイクも元気だったけど、ほかの荷物や装備は壊れそうだったり、無くなってしまったり。
壊れたバックパックの代わりにドラムバックを買ったんだけれど、これがなかなか取り付け易くてナイス。
まあ大丈夫でしょ。
と、そのときはそう思っていたんだけれど…

シドニー~メルボルン間はPrinces Highwayを通っていくんだけど、ここがなかなかナイスでした。
まあ最初だけだったけど、シドニーから80kmを過ぎたあたりの道路はほんとに走ってて気持ちよかったですね。

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写真じゃ伝わりにくいけど、ホント綺麗だったんですよ




しかし…

300kmくらい走ったときに左手にパキって変な感触。
そのときはあんまり気にしなかった。

しばらくしてまた同じような感触。
どうもクラッチがつながる位置がかなり近くなってる。
まあとにかく動くし、後で宗ちゃんにでもやり方確認してワイヤー調整すればいいやと走り続ける。

約470kmを走り本日の目的地のEdenという街に到着。
暗くなってきていたのでクラッチを調整のは翌朝にするとして
買い物へ。
スーパーにいったんだけれど、ここで面白いことが。

…リンゴが激安。

2kgで$3.98。

エデンのリンゴは安かった、とさ


5月21日

翌朝、クラッチワイヤーの調整を試みる。
うーんうまくいかない。

ここで初めてワイヤー自体を見てみる。


・・・・!!!!!!!!!!

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ワイヤー、切れかけてますがな

写真だとわかりにくいけど、上の太い方は繋がってなくって、実は下側の線2本だけで繋がっておりました…

こりゃあかん。切れるの時間の問題じゃん。

姉さん…大変です!!!!!(高嶋政伸調)
このままではどこにも行けません!!

キャラバンパークの受付に駆け込みEdenにバイク屋さんがあるかどうか確認。

ないってさ。

一番近くても50km離れたBegaって街。ちなみに昨日通り過ぎた。


Edenには車屋さんなら幾つかあったので、なかでもNRMA(日本のJAF、QueenslandのRACQのNSW版)のオフィスが併設されたカーディーラーに救いを求める。

そこのメカニックの話によると、直すにはまずブリスベンのカワサキのディーラーから空輸で部品を送ってもらわなきゃならないけど、それには一週間、$200くらいかかるとのこと。


そんなにこんな村には居られませんし、そんなお金(滞在費+修理費用)もありません。

という訳で、バイクでの旅の中止も頭に入れて悩みに悩んだ末、560km先のメルボルン行きを断行という一か八かの賭けに出ることにした。


前々からメルボルンにはバイク屋がたくさんあるって雑誌で読んで知っていたからここならあるいはと思ったし、例え途中で故障しても命に危険があるまではいかない。メルボルンに近くなれば解決策もそれなりにあるだろう。もし完全に駄目になったらもはやそれまで、あきらめようと思った。

そこからの道のりはマジきつかった。
アップダウンの多い林道でクラッチをなるべく使わないように5速を封印してみたり(結局封印といたけど)、街に差し掛かって信号が多くてムカついたり。かなりビビりながらの運転。
VIC州に入ってからのPrinces Hwyは林道ばっかで日光がさえぎられて寒い寒い。しかも途中雨まで降ってきやがった。

メルボルンまで200kmを切ったところから山道に入って

気候が激変

半端じゃなく寒い。道路凍ってないか心配になるくらい。


雨。


メルボルンに近づくにつれて交通量が増える。
ハイウェイなのに街灯がなく、雨も手伝って視界がかなり悪い。
クラッチの具合は悪くなっていく。
このころには残ったワイヤーが伸びきりつつあったのか、一速でクラッチを切って停止した状態でもブレーキを離すとちょっとずつ前に進み始める。

・・・・AT車じゃねえんだぞ!!

メルボルンまで30km。雨が強くなってきた。
もうそのその辺にあるMOTELに泊ってしまおうかと、その看板を見るたびに思ったが。どうにかこうにかシティ到着。

シティではエンスト連発。
だってクラッチ切れないんだもん。
走り出したら大丈夫だけど止まったときにギアがぜんぜん入らない。
特に一番入れたいニュートラルorz

既に真っ暗、降りしきる雨の中、どうにかこうにか中心部と思われるところにバイクの駐輪スペースを発見、メルボルンに到着したのでありました。


よくやった俺。壊れかけクラッチで560km走破。

超クタクタです。

バイクは直るかどうかはわかりませんがとにかく明日バイク屋にいこうと思います。

というのが昨日の英文日記分。
長くなりすぎるから今日のメルボルン観光日記はまた次回
たぶん明日~

バイクは、修理を依頼済み。明日パーツが届きます。
やってみないとわからないけど全部で$50くらいかかるかも、だって

安っ。

 

というわけで、シドニーでバイクのメンテナンスを怠ったことにより、こんな目に遭ってしまった。でも、一か八かであっても自分なりの根拠をもって前に進む判断ができたのは収穫だった。1日単位でこれに勝る挑戦をしたことは、これ以降まだないのではないだろうか。

 

また、この体験がかなり強烈だったのでしょう、mixiではなく昔のPCに手記のようにしてまとめたのが残っていたので以下に置いておきます。かなーり長いので、本当にGWやることなくて死にそうな方だけ読むこと推奨。上記mixi日記を具体化しただけですので。

Sydney-Eden-Merbourneの行程を具体的に綴った手記

光。
僕は光の中にいる。真っ暗闇の中を流れる、地上の天の川。空の天の川は今となってはだいぶ見慣れてしまったから、地上の天の川なんてひねくれたものも悪くはない。僕はその光の川を構成するひとつの星になって、流れに乗って進む。光に囲まれて進む。すれ違う車のヘッドライトの光。緩やかに赤く尾を引くテールランプの光。雨が反射して四散する光。地面が反射してまたたく光。それらの残像。全てがヘルメットのシールドに付いた傷や、そこに叩きつける雨粒によって分散する。暗闇の中で、光が踊る。熟練を重ねたダンサーの鋭くも蠱惑的な視線のように、光は目を通してすーっと入ってきては一瞬僕の意識を満たし、侵しかけたかと思うと、ふっと後方に抜ける。 

すーっ、ふっ。
すーっ、ふっ。
すーっ、ふっ。

最大限の注意を払いハンドルを握っているが、風雨に屋根を飛ばされて剥き出しになってしまったかのような精神は容易に光の侵入を許す。それが通り過ぎると同時に魂が一緒に後ろにスルっと抜けてしまいそうな感じがずっと続いている。 

ゆめか、まぼろしか、ふわふわと覚束無い精神とは裏腹に、肉体は揺らぐことなく自らを支えている。精神が肉体を支配しているのか、肉体が精神をただ乗せて走っているのか、よくわからない。普段は気にも留めない、精神と肉体の曖昧で得体の知れない境界を感じる。肉体が確かにそこにあるのを確信する一方で、精神がそこに透けて見えるような気もした。

ヘルメット本体とシールドの隙間をかいくぐって進入してきた雨粒が顔を伝い、疲労感にどうにか抵抗を試みようとして見開いている目や、無意識に半開きになっていた口に入る。味を感じる。おいしいはずはないが、かといってまずいとか、そういうものでもない。感じはするが、評価をできない。目も同様。目に入ったのは感じるが不快さは感じない。そしてそのことに何を思うでもなく、瞼が閉じてまた開き、視界を元に戻す。そこでまた繰り広げられる、暗闇の中の光のダンス。

すーっ、ふっ。
すーっ、ふっ。
すーっ、ふっ。
すー…

不意に目の前の赤い光がその明るさを強める。川の流れが遅くなり、僕も合わせてスピードを落とす。だんだん流れは遅くなり、やがて完全に流れは止まる。僕も止まる。光のダンスが動きを弱め、意識に入り込むのをやめる。
精神と肉体の境界が次第に無くなり、ぴたりと一致、同化する。風雨に飛ばされていた理性が戻ってくる。それと同時に一体になった精神と肉体は、例えば空気がそうであるように、その存在感を希薄にしていく。必要最低限の情報を逃さないことに特化して研ぎ澄まされた感覚はその鋭さを失っていき、代わりに戻ってきた理性が動きを活発にする。存在感を弱めた精神と肉体は、理性が判断しうる限り、完全に理性の支配下に置かれる。
うつつにもどる。

 ふと見ると、どうやら遥か前方の信号が赤になったようだった。頼むから、止まらないでくれ。
ローギアまで下げる。
クラッチレバーを握る左手に力が入る。

停止。

レバーを握ってはいるが、もはやクラッチを「切っている」という表現は諦めなければならない。レバーを握ってもエンジンからの動力を完全には遮断できなくなっている。だからブレーキを解除すると、バイクは少しずつ、少しずつ僕の股の間から抜け出して前方へ吸い寄せられるように進んでいく。まるでオートマチックの車のようだ。ギアをニュートラルに入れることができればいいのだが、クラッチが完全には切れていないから、停止した状態で、しかも半端な位置にあるニュートラルへのチェンジもまた難しい。

雨は止むどころか、弱まりそうもない。

               ✳︎

 クラッチに異常を感じたのは昨日のことだったが、何が起きたのかを知ったのは今日の朝になってからだった。今朝は早めに起きた。早めに起きたといっても、いつもより三十分早かっただけなのだが。寝袋に仕込んだ電気毛布が気持ち良すぎでなかなか出られなかったのだ。何せ朝方なので外は寒い。もうちょっと…を五分×六回繰り返し、予定していたより三十分遅れて寝袋から這い出した。昨晩の滞在先であるエデンという街で格安で手に入れた林檎は何かと便利だった。起きぬけに二、三個かじってそれで朝食とするなんてことはしばしばで、今日もそういうことになった。とても手抜きな朝食の気もするが、それまでよく食べていたインスタントヌードルの類より栄養価が高く、添加物も無く(いや農薬はたっぷりかもしれない)、おまけに安価と、この禁断の実は誠に有用だ。 林檎だけで生きていけるならどんなにこの旅は楽だろうかとバカなことを考えたりもした。
 
 早起きしたことよりも、朝食にかける時間が圧倒的に短かったおかげで出発の準備は前がかりに進んだ。歯を磨き、荷物をまとめ、テントをたたむ。全ての荷物が準備できたところで、それらをバイクに取り付ける前にクラッチケーブルの調整をすることにした。駄目なら次の拠点でバイク屋に見てもらえばいいかな、と思いつつ調製のためのネジを回す。しかし一向にケーブルの引き具合に変化は無い。きつくも緩くもならない。一体どうしたことかと思い、異常を感じて以来ここで初めてケーブルそのものを見てみた。

僕は目を疑った。クラッチケーブルが、切れかかっている。ケーブルというのは何本ものワイヤーが束になって一本の鋼鉄の綱を形成しているものだが、この時クラッチケーブルはたった二本のワイヤーによって繋がっている状態だった。まさに、首の皮一枚。応急処置の術さえ知らない僕にとっては、ここまで辿り着けたこと自体が奇跡なのかもしれない、そう思わされた。とにかく修理しなくてはならないが、自分の手では無理だった。この街にバイク屋はあっただろうか。昨晩歩いて回った際にはそれらしいものは見なかった。そこで僕はキャラバンパークの受付に確認してみることにした。

僕が昨晩泊まったところは、キャラバンパークというオーストラリア各地に点在する、私営のキャンプ場だ。点在とはいっても、大都市から村とも言えないような最小規模の集落まで、人が住んでいるところには必ずあるといっても良いくらい、浸透度の高い施設である。それゆえに小さな街ではキャラバンパークがその街のガイド的な役割を果たすことも多い。だから僕はすがるような思いで受付に行き、エデンにバイク屋があるかどうか尋ねたが、返ってきた答えはノー。この街にバイク屋は無い。

受付の初老の女性もどうにか助けになろうとしれくれて、最寄りのバイク屋をイエローページで探してくれるが、それでも五十キロメートル離れたベガという街にしかないという。確かに前日通り過ぎた時にそれらしきものはあったような気がした。しかし、五十キロメートルという距離は、首の皮一枚のクラッチで無事到着できるとは思えなかった。

何もバイク屋じゃなくてもいい、とにかくこれを直してくれるところならいい。応急処置でも構わない。それなら街に点在する自動車のディーラーに頼んでみようと思い、受付の女性にその旨を告げると、フォードのディーラーの手前にあるタイヤショップに相談してみることを薦めてくれた。なるほどバイク屋がなくても全くバイクがないわけではなし、修理をするところはあるということだろうか。小さな街ではいくつも店があるわけではないから、ひとつの店がいろんなことを兼任している場合も多い。僕はそれに期待した。
しかしそのタイヤショップのメカニックはもうバイクの修理は行っていないと話した。

 一度キャラバンパークに戻ると、ある老夫婦に声を掛けられた。どうやら一週間ほど前に滞在したコフスハーバーという街のキャラバンパークで僕のことを見かけ、外国人のバイクでの一人旅は珍しいということで記憶に残っていたらしい。こういう偶然はあるものなのだ。これは旅の醍醐味のひとつであり、そういったものを期待してもいたのだが、僕にはそれを楽しむ余裕がない。ゆっくり話をしたかったが、僕は急いでいる旨を彼等に伝えた。

次はNRMAという、日本でいうJAFに相当する組織のオフィスが併設されたトヨタのディーラーを訪ねることにした。
 事情を話すと、NRMAのサービスの範疇ではないということだったが、僕が食い下がると受付の女性はトヨタのメカニックに話を持っていってくれた。

 全く厄介なことになってしまったとやきもきしながら待っていると、修理は可能との返事が返ってきた。ただし、部品がないのでブリスベンのカワサキのディーラーから空輸で送ってもらわなければならない。修理をするのはそれから。空輸には約一週間、200ドル掛かる。修理代や部品代はまた別。もちろん滞在費も必要日数分かかる。少なく見積もっても総計500ドル。

 目の前が真っ暗になった。まだ、旅を始めて一週間経っていない。今後どれくらいの出費があるか分からないのにこんなところで金と時間を使えるだろうか。もしお金を払えるとしてもこの小さな街にただ何をするでもなく一週間?はっきり言って現実的ではない。しかし直さねば前にも後ろにも進めない。いや、直ったとしてもここで多額のお金を使ってしまえばいつ行き詰るかわからない。
ちょっと考えてみるよ、とメカニックに告げ、僕は建物の外を歩きながら途方に暮れた。

 KAWASAKI GT750 P4 1984年式。750㏄としてはとんでもなく格安の車両。限られた予算。そんなのでパースまで、あわよくば大陸を一周してやろうなんてどだい無理な話だったのだろうか。それとも年式の問題よりも自分の不始末か。出発前に今回のトラブルの兆候はなかっただろうか。きちんと目視して確認していれば気づいたかもしれない。老朽化ということに関してはまるで経験も洞察力も欠ける自分に気が付いて、絶望的な気持ちになった。ここまでか。

 自分はバイクでオーストラリアを一周したいんです、と国籍問わず色んな人に話してきた。凄いねと言われれば、まだ何もやった訳じゃないからと謙虚を装って返答しつつも誇らしい気持ちになったりもした。
 それがどうだこのザマは。まだメルボルンにさえ到着していない。ゴールドコーストから二日もあれば行けるシドニーでちょっと観光しただけじゃないか。本当に、まだ何もやっていない。ここでこの旅を止めたら、友達連中はどんな顔をするかな。見事に笑いものだな。オーストラリアに行って何やってきたの?との問いに胸を張って答えられるものが何一つない。この旅の準備しかしていない。バイクで一周しようとしたけど無理でした。頑張ったんだけどバイクが故障して予算もないから断念しました。

それじゃ仕方ないよ。
第一やろうとすること自体凄いじゃん。
うん。頑張ったんだから凄い。
冗談じゃない。
頑張ったから凄い?
高い目標を掲げたから凄い?
ふざけるな。
聞き飽きたよそういうのは。
何が何でも、この旅を続けてやる。

 真っ暗になっていた頭を回転させた。とにかく、ここは場所が悪い。何といってもシドニーとメルボルンのちょうど真ん中、どっちに向かっても500㎞前後の距離がある。あらゆることで不便なのだ。パーツはブリスベンからの空輸だと言っていた。ということは隣町のベガに向かったとて状況は大して変わるまい。可能性があるのは…メルボルン。オーストラリア入国当初からこちらのバイクの中古車情報誌を毎月のように買って隅から隅まで読んでいて、メルボルンにバイク屋が無数にあることは知っていた。各国の旧車の専門店もある。修理に時間が掛かるとしてもここなら暇つぶしに事欠かないはずだし、その気になれば仕事を見つけて旅の費用を稼ぐこともできるだろう。

もちろんリスクは非常に高い。でもここにいるよりずっとマシだ。それにメルボルンに近づけば何かしらバイク屋の設備や在庫状況等、状況は変わるかもしれない。それにクラッチケーブルは確かに切れかけだが、ワイヤー二本を残して全部切れたということは、その残った二本にはもうあまり強いストレスはかかっていないという見方もできると思った。
 もし途中でバイクがイカレたとしてもその時はその時だ。そこにバイクを見捨てなければならない状況が来たら仕方ない、諦めようと覚悟した。ここまでの旅で分かったが、少なくとも東海岸では、バイクが故障して周りに何もなくて車も一台も通らなくて野垂れ死ぬなどという、出発前に散々脅されたようなことはありえない。ましてやここいらは第一の都市と第二の都市を繋ぐ幹線道路だ。
 ここで断念するくらいなら、少しでも可能性のある方へ。命をとられる訳じゃないなら、何でもやってみよう。
 
かくして今日は長い一日となった。
 クラッチレバーの扱いに最大限の注意を払いながら200㎞走ったあたり、14時前から降りだした雨はあっという間に大雨となって、もう3時間以上降り続けている。僕はその中を長時間走行と風雨によってもたらされる苦痛を上回る、ライダーズ・ハイとでも言うべきかつてないほどの高揚感に後押しされたり引き摺られたりしてここまでやってきた。

 朝のドタバタに時間を取られてエデンを出発したのが11時前。今は18時を回っている。走行距離は500㎞を越えてメルボルンまでは残り50㎞といったところか。大都市に近づいて車線も交通量も多いのに、ハイウェイの脇には街灯のひとつもない。道路と他の車しか見えず、視界も最悪。これ以上走るのは危険だ。いつクラッチが完全に機能しなくなってもおかしくない。減速をしなければいけない時にうまくシフトダウンできずにノッキングしてエンスト、転倒あるいは追突、はたまたそれが同時に起こって後続車に踏まれる、なんてことがあってもおかしくない。

 ここまでメルボルンに近づけば十分だろう。風雨によって飛ばされ、僕の隅に追いやられた理性が息も絶え絶えにそう叫んだ。ここに来るまでにいくつかモーテルを道路脇に見つけたが、その度に同じ思考を繰り返した。しかし慣性のついてしまった自分を止めることはできず、メルボルンとの距離は少しずつ縮まっている。

                ✳︎

 信号が青になった。
強制半クラッチの状態から発進、きちんと繋いで加速。スピードが出てしまえばクラッチの状態はそれほど気にしなくても済む。スピードが上がっていく。雨が前方からやってくる。暗闇の中、光が再び踊りだす。それに眩惑されないよう集中力が高まり、理性が後退する。次第に余計なことを考えなくなる。

すーっ、ふっ。
すーっ、ふっ。
すーっ、ふっ。

もはや朝にさんざん迷ったことなど遠い過去だ。この旅を成功させたいとか、そのために苦労してきたとか、既にどうでもいい。ただ前に進みたい。

「自分」というものの純度が、だんだん高まっていくような気がした。もうすぐ新しい自分に会えるはず。隅に追いやられた理性ではなく、再び剥き出しになった精神がそう感じていた。

Melbourne到着翌日、KAWASAKIのディーラーに修理を依頼するまでの手記

 昨日の夜にメルボルンに到着した時、クラッチケーブルはまだワイヤー二本で繋がってはいたが、完全に伸びきってしまったようで、クラッチレバーは殆ど機能しなくなっていた。
土砂降りの都心部でエンストを連発して後続車のクラクションを浴びることに苛立ちつつも、車体そのもの浴びないことには感謝をしながら、駐輪できる場所を探して街を徘徊した。ハーレーダビッドソン社のものが「鉄の馬」と表現されるなど、バイクはよく馬に例えられる。僕のバイクは二〇世紀後半の機械らしいエンジン音を発してはいたのだろうが、この時はまるでアメフラシみたいにズルズルと進んでは止まり、またちょっと進んでは止まり、の連続だった。乗っている僕はさしずめアメフラレとでも言ったところだろうか。

 手がかかる子ほど可愛い、とは育児や人材教育のみならずバイクや車といった趣味としての乗り物にも当てはまる。しかしこの時ばかりは一刻も早くバイクを降りたかった。駐輪スペースまでご丁寧に載っている地図やガイドブックは存在しないからどうにかして自分で見つけるしかないが、それにしても慣れない街の混んだ中心部をいつ事故に繋がるか分からないようなトラブルを抱えて走るには精神的な限界が近かった。目的地としていた街には到着していることもあって、昼間から夕方にかけて僕を支配していたもの、自らを鼓舞しようという気概はとうに失われていたのだ。

 市街地東部のエキシビション・ストリートで中央分離帯が途切れた部分にバイク専用の駐輪スペースを見つけた僕は、半ば乗り捨てるような思いで愛車を停めた。やっと解放されたというのが正直なところだ。

 その晩はバイクが直るかどうかということは考えず、とにかく無事にメルボルンに到着できたという安堵感で満たされてしまったが、それがどれだけ意義のあることであったかを実感したのは翌朝バイクを修理に出した時だった。

 僕が泊まった安宿から一番近いところにあるバイク屋は、僕のバイクがあまりにも旧いものだということで修理の依頼を受けてはくれなかったのだが、その代わりにKAWASAKIのディーラーの場所を教えてくれた。
 目の前の通りを渡ってしばらく進んだところ。
 店主はそう教えてくれたが、店を出てすぐに戸惑った。その店は十字路の角にあったため、店のどちら側の通りを渡ったところなのかわからない。少なくとも今いるところからは見えない。もう一度聞けばいいのに、なんとかなるだろうと思って周辺を散策することにした。

 おかげで散々迷った。メルボルンという街は碁盤の目状に道路が通っていて道は分かりやすいと言われる。もし地図を持っていたならそれも事実かもしれないが、僕はその時地図を携帯していなかった。碁盤の目状の道というのは、東西南北の基準が分からなければ交差点がどこも似通ったものに思えるし、同じ交差点でもどの方向から来たかでどちらに曲がるべきかが分かりにくかったりして、余計迷いやすいこともある。京都を訪れたことはないが、多分そこでも迷うのだろう。

 たっぷり一時間程彷徨った後で、カワサキのディーラーを発見した。メルボルンには多いヴィクトリア様式の建物にバイク屋が入っていた。大概の女の子なら「可愛い!」とお決まりのセリフで評しそうな建物からKAWASAKIのロゴの「K」だけを抜き出した50㎝四方ほどの小さな看板が突き出ているだけで、通りを歩いていてもそこがバイク屋だとはなかなか気づかなかった。 ひょっとしたら日本で四輪の高級外車を専門に扱う店ならこういった外観の店もあるような気もするが、およそバイク屋という言葉からイメージするようなものではない。そして情けないことには、ここを探している最中、僕はこの店の前を一度素通りしていたようだった。

 僕はバイクを置いてある場所に行き、もはやエンジンを掛けて乗る気はしなかったので押して歩いて再び店に戻ってきた。

 店に入ると一階のショールームには誰もおらず、パーツとアクセサリーを販売している二階に行くと白髪混じりの女性がひとりで仕事をしていた。
 珍しい光景だった。女性スタッフがそうだという訳ではない。大概のバイク屋ではたとえ事務スタッフでもツナギやスタッフジャンパーのような作業着を着ているのが普通だが、彼女は丸い縁の眼鏡をかけ、フリル付きの白いブラウスにエンジ色のカーディガン、茶色のロングスカートと、まるでアンティークショップの可愛いおばあちゃんといった装いだ。建物がバイク屋に似つかわしくなければ、中にいる人間もまたしかりといったところか。いやそれよりは、建物と中にいる人間はマッチしていて、扱っている商品が意外なものだと言った方が正確なのかもしれない。

 僕は自分のバイクの状況を話した上で、一度見てもらった方が不完全な英会話よりも正確に伝わるだろうと思ってバイクを見せた。年式やエンジン形式等の情報を確認した彼女は、眼鏡の弦に手をやると、まるで骨董品の資料を検めるような手つきでディーラー用の注文カタログから対応するパーツを確認し始めた。そしてまもなく、次の日の午前中には新品のクラッチケーブル等のパーツが届くと教えてくれた。メカニックが外出中で詳細は分からないが、トータル五、六〇ドルといったところで作業はできるだろうとのことだった。

 信じられない気持ちだった。確かに、メルボルンに来さえすればどうにか解決の糸口は見つかるかもしれないと思って前日は無理をしたのだが、ここまで思い通りになるとは。エデンで提示された金額がパーツの空輸料金だけでも二〇〇ドル超だったことを思うと、つい笑ってしまう。しかも三日間を予定していた行程が二日間に短縮され、その分の宿泊費、食費が浮く。

自分の判断は正しかった。一寸の曇りも無くそう思えたことなんて、ここ最近にはなかったはずだ。

 ブリスベンからパーツを空輸してもらわずに済んだという話のついでに、ブリスベン近郊のゴールドコーストから来たこと、エデンからはずっとこんな状態のバイクで走り続けてきたことをその白髪混じりの女性店員、メアリーに話すと、とんでもない旅ね、と目を丸くして驚いた。これからパースまでは行ってみたいというと、素敵なことだと感嘆した。

 また彼女は親切にも、バイクを外に置いておくと盗難やいたずらの危険があるからとりあえず店の中に入れておくように勧めてくれた他、メルボルンでは建物から数メートル離れたところであれば、歩道に駐輪していても違反とならないことを教えてくれた。オーストラリア全域を見ても、そのような所はこの周辺だけらしい。長く滞在していたゴールドコーストは駐車違反の取り締まりが非常に厳しかったし、シドニーも歩道脇は自転車や小型のバイクの違法駐輪で埋まっている。駐輪スペースも街の規模からすると多くは無い。

メルボルンは、バイク乗りの街なの。
彼女は自身の生業への誇りを滲ませて言った。

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これでもバイク屋。