バーとお酒の入門講座

バー初心者の方を対象に、バーならではのマナーや楽しみ方、お酒に関する基本や雑学、豆知識を書いていきたいと思います。バーに興味はあるけれど、何だか最初の一歩が踏み出せない、そういう方の一助になれば幸いです。

自己紹介Part6〜浪人編

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浪人生活の主な舞台となった仙台駅東口。当時と今ではだいぶ様子が変わりましたね。

自己紹介Part1 生い立ち&幼少期 - バーとお酒の入門講座

自己紹介Part2 〜小学校編・前半〜 - バーとお酒の入門講座

自己紹介Part3〜小学校編・後半 - バーとお酒の入門講座

自己紹介Part4〜中学校編 - バーとお酒の入門講座

自己紹介Part5 〜高校編 - バーとお酒の入門講座


 かくして浪人の身となった私。

 正直悔しい気持ちや落ち込むようなことも自覚症状としてはなく、ただし幼稚園入園以来初めての「何の組織にも属していない状況」に対して浮き足立っていたのが2000年の春の心境と記憶している。

 

 この1年を何を目標に過ごすか、それを決めなければ動きようがない。それはもちろん大学合格が目標となるのであり、問題はどこの大学を受験するのかということだった。普通は・・・というか同じく浪人生活を経て大学に入学した兄の足跡をなぞるのならば自分も同様に現役時代に不合格となった大学に再挑戦となるのだが、教員になるのが夢であった兄のように専門性のある大学/学部に行きたいわけでもない私は何となくそれでいいのか、という考えが朧げながらあり、別に今すぐ頑張らなくてもいいやという気持ちで、そんな態度でいる私に母親がイライラを隠せなくなっていたのを覚えている。多くの浪人生は早々に、早い人なら年度が変わる前から予備校に入学し、次回の入試に備えるのだが、私はのんびりしていた。

 

 理由ははっきりではないがわかっていた。数少ない選択肢を選べずにいたのだ。現役時代に落ちた大学を再受験、なら話が早い。しかしそれでいいのかという気持ち。もしそれより上位の大学を受けるならばそれは県外に出ることを意味する。家計の事情から、私立大学はナシ。一人暮らしをするとなれば、それなりに初期費用がかかる。ウチの家計でそれは期待出来るものなのか。仕送りはどうなるのか。そもそもこれから一年勉強して、果たしてレベルを上げた大学に合格できるのか。単に再受験をするのか、それとも様々なハードルがある県外≒東京の大学を受けるのか、つまり普通なら選択肢が一つしかないところを、どうにか複数の選択肢をねじ込みそして成功させることができるのか、そこにモヤモヤして自分の道を決められずにいたのだ。

 

 そんなふうに過ごした日々に変化をもたらしたのは、現役合格をした友人達からの新しく始まった大学生活の報告だった。当時はSNSなどないので流行っていたネット上の掲示板や携帯電話、PHS(懐)のメールによって連絡を取り合っていたのだが、端的に言えば、

 

 ⅰ 地元の、私が志望し不合格となった大学の友人
  →ちょっと微妙かも、思っていたのと違うかも??
 ⅱ 東京の大学に行った友人
  →キラキラ、楽しい⭐️お前も東京来た方がいいぞ!

 ・・・東京の大学を受けよう!!(笑)

 と単純に思ったのだった。

 

 私の高校から地元の国立大学というのは王道ではあるのだが、「それまでの生活の延長」感があったのだ。小学校から中学校、中学校から高校、のような。以前のパートに書いたが、中学校には小学校の同級生がほぼそっくりそのまま進学しているし、入試を経て入った高校の同級生も、実は私の中学が一番のシェアを占めていたのだ。
 そしてその大学は高校よりも直線距離では近い場所にある。一人暮らしをすることもないだろう。

 

 そろそろ、違う世界が見てみたい。

 

かくして、私は東京の大学を志望することとなった。
問題は学力はもちろん、費用面。親に相談すると、「受けるのは勝手だが上京費用の工面と仕送りはできない、学費は出してやる」との返答。

 私は覚悟を決めてアルバイトをして上京費用を貯めながら受験勉強をすることにした。

 そんな状況だったので予備校の本科には入学せず、各予備校の単科授業で苦手分野を補いながらの「宅浪」の身となった。宅浪とは言っても単科で在籍はしているので主な勉強場所は予備校の自習室となった。

 

 さてアルバイト先。せっかく高校生でなくなったので「※高校生不可」でない仕事先で働きたいとも思った(なんと最初に受けたのはバーだったw)が、やはり学業最優先の浪人生、しかも東京に行こうとしている人間を雇ってくれる所はなかなかなく、早く働き始めなければお金が貯められない焦りもあり、結局高校生の時に勤めていたマクドナルトのアルバイトに復帰することとなった。ありがたいことに、知っている社員さんやスタッフはよく戻ってきてくれたねと歓迎してくれた。予備校の集まる仙台駅東口直結のお店だったので、利便性も高かった。

 

  こうして始まった二足の草鞋生活。勉強を疎かにしては合格できないが、かといってバイトもしなければ上京ができない。どちらを欠いても希望の進路に進めないプレッシャーと不安は大きかったが、これをクリアすれば自分の人生が大きく開かれると思うとそこまで苦にはならなかった。他の人は選んでいない勝負をしていると思うと、それだけでも誇らしかった。

 幸い、アルバイトも楽しかった。勉強の息抜きにアルバイトをしているのか、アルバイトの息抜きに勉強しているのかよくわからなくなったりもしたけれど、仕事仲間には非常に恵まれ、社員さんや目上のアルバイトの方々には非常に可愛がってもらえ、また後輩にも敬意を持って接してもらえていた。皆が自分を必要としてくれるのを感じることができた。

 本当に良い環境で働かせてもらっていたと思う。
 もはや20年前の話、残念ながら現在は誰とも疎遠になってしまっているが(東日本大震災を受けての消息や影響もわからない)、また会いたいという人たちばかりである。


 勉強もある程度順調に成績を伸ばすことが出来た。しかしそれでも志望大学に通るかどうかは微妙なところ。苦手な数学の過去問が難関大理系学部の模試に採用されるような大学だ。これは中学時代からだが、受験勉強のかなりの割合は数学の対策に割かれることになった。センター試験の数学はかなり自信がついたが、やはり二次試験はさほど自信が持てないままだった。いまだに確率漸化式という言葉にアレルギーがあるw

 結論からすると、第一志望の大学に受かることは出来ず、後期試験で合格した第二志望の大学に行くことになった。第二志望=後期試験を受験する大学ということだが、落ちれば二浪確定ということで慎重な判断を迫られた。センター試験の結果を提出すれば即合格となる地元の大学もあったが、東京の大学に行きたかったのと、よりレベルの高い大学の方が人にも恵まれるだろうということ、第二志望にした大学はセンター試験の点数が重視されること、センターリサーチの結果自分は定員の順位内に入っており、私より上位の人間は前期で多くが合格するだろうからあまり敵はいない、という読みがあった。そしてそれが奏功した形となったのだった。

 

 残念ながら第一志望ではなかったものの、どうにか東京行きの切符を手に入れた。上京資金も潤沢とは言えなかったが親に胸を張れるくらいには貯めることが出来た。

 良くしてくれたマクドナルドの人たちと離れるのは名残惜しかったけれども、皆で祝ってくれた。そんな送別会の翌日、私は父と兄の運転するレンタカーで引越しの途についたのだった。

 2001年3月。
 21世紀のはじまり。
 20歳になる年。
 東京生活の始まり。
 初めての一人暮らし。

 

 土地勘、ナシ。
 

 同じ大学に合格した友達、ナシ。

 仕送り、ナシ。

 

 我ながら茨の道を選んだものである。



 次回は大学編!