DCLの成り立ち
Distillers Company Limited、通称DCL社は1877年に創立され、今日のDiageo社まで続く世界最大級の酒造メーカーです。
土台となったのは1856年に結ばれたグレーンウイスキー業社間での通商協定。「主要なグレーン蒸留会社は一体となってあたるべき」というのがその理念でしたが、それを一歩推し進め、また1870年代以降のフィロキセラの害に端を発するウイスキーブームの際、生産量を調整し、生産過剰によって引き起こされる不況を避け、共通の利益を確保すべくDCLという会社組織になりました。
母体になったグレーンウイスキー業社は、以下の6社。
M. Macfarlane & Co, Glasgow (Port Dundas 蒸留所)
John Bald & Co, Alloa (Carsebridge 蒸留所)
John Haig & Co, Fife (Cameronbridge 蒸留所)
McNab Bros & Co, Menstrie (Glenochil 蒸留所)
Robert Mowbray, Cambus (Cambus 蒸留所)
Stewart & Co, Kirkliston (Kirkliston 蒸留所)
中でもJohn Haig & Co (通称ヘイグ社)が中心的な役割を果たしました。
会社組織にすることで、傘下子会社の独立性は維持したままで、強力な業界指導の体制を敷くことができ、グループとして外部に対して優位性を持つことが可能となりました。
DCLの台頭
そうした中、当時のスコッチ業界を震撼させる出来事、パティソンズ社の倒産が起こります。DCLはパティソンズ社傘下の蒸留所や中小のブレンダー会社を買収して傘下とし、巨大組織となっていきました。不況となりパティソンズ社関連の資産価値が暴落したので底値で買うことができたのも要因のひとつと言われています。
その後も第一次大戦下での原料不足、増税、アメリカの禁酒法などの危機を企業の合併、吸収を繰り返す中で、政治的手腕を発揮して乗り越えることで主導的立場を確立しました。
その間にもDCLは猛烈な勢いで買収を進めていましたが、1925年から27年にかけて当時ビッグ5と言われた、
John Haig(Haig)
Buchanan’s(Black & White)
John Dewar & Sons (Dewer’s)
John Walker & Sons (Johnnie Walker)
White Horse (White Horse)
が大連合という形でDCLに買収されることになり、最大勢力となりました。以降50年以上にわたって英国を代表するウイスキーメーカーとなるとともにジンの生産やイースト、薬品、化学事業にも手を広げ、世界最大級の企業として君臨しました。
ギネスによる買収〜UD社発足
しかしそんな一大企業コンツェルンも、1970〜80年代にかけて販売不振に陥り、1986年ギネス社によって買収され、UD社(United Distilles)が誕生しました。
UD社といえば、傘下の蒸留所のウイスキーにそれぞれのイメージの花と動物のラベルを施し、シングルモルトとしてボトリングした「花と動物シリーズ」が有名です。
全22種リリースされましたが、内訳は以下の通り。
オルトモア12年
IDVとの合併〜ディアジオ社へ
1997年、UDの親会社であるギネス社は、J&Bやギルビージンを傘下に持つIDV(International Distiller & Vintner)の親会社であるグランド・メトロポリタン・グループと合併し、ディアジオ社となりました。この際に前述の花と動物シリーズに
以下のオフィシャルサイトにブランドについて詳細がありますので参考に載せておきます。
ディアジオ社の今後
このように巨大化したディアジオ社ですので扱う酒類は無数となり注目すべき点は多々あるのですが、ウイスキーの観点からすればやはり、1983年に閉鎖されたポートエレン蒸留所(アイラ)、ブローラ蒸留所(北ハイランド)の復活でしょう。
www.diageo.com現在はブローラ蒸留所のポットスチルの修復作業が行われているようで、再開の準備は着々と進んでいるようです。2020年までの復活を目指すということで、期待せずにはいられません。