バーとお酒の入門講座

バー初心者の方を対象に、バーならではのマナーや楽しみ方、お酒に関する基本や雑学、豆知識を書いていきたいと思います。バーに興味はあるけれど、何だか最初の一歩が踏み出せない、そういう方の一助になれば幸いです。

自己紹介Part1 生い立ち&幼少期

f:id:vagrantbartender:20191009152941j:plain

  以前は「流浪のバーテンダー」として記事を書いてまいりましたが、2019年7月6日、東池袋に「THE BAR OCEAN’S」を開業致しましたので、それを機に各種SNSを実名顔出しで運用することとしました。

  開業後初めての投稿になりますので、まずは自己紹介から始めようと思います。流石にいい歳のおっさんなので大筋としては今後の人生に大きな迷いや妙な希望はないのですが、ここで半生を振り返ることで今後の方針にも何かしらの影響や刺激になるかと思い、そこまで書かなくてもいいんじゃないかという内容も載せてみようかと思います。
必然、長くなるのでいくつかのパートにわけます。

 

Hiroshi SHINDO
1981年9月14日生
宮城県仙台市出身
東池袋「THE BAR OCEAN’S」店主

bar-navi.suntory.co.jp

 

宮城県仙台市のごく平凡な家庭に三人兄弟の末っ子として生を受ける。
5学年上の兄、4学年上の姉は対照的な性格であり、その下に生まれた私は二人の間をとったような性格になったと思う。それでなくても上のきょうだいに対する親などの対応をみて学習しうまく立ち回ることを覚える(つまり上のきょうだいを「実験台」にする)とされる末っ子気質に加えて、より一層周囲のバランスをみて動く性質になったように思われる。そしてそれは三つ子の魂百までという通り、40歳手前のおっさんとなった今なお自覚される性格の一つとなっており、バーテンダーはこのバランス感覚が重要なので向いている職業であるなと、ふとしたときに改めて思うことがある。

 

 また、通っていた幼稚園は家から最寄りにあったところでしたが、ここがまさかの音感養成系スパルタ幼稚園。あとから聞いてみると厳しいことで有名。体罰的なものは流石になかったと記憶してるけど、普通に小学校低学年の勉強の内容とか、小学校用の大型の跳び箱とか跳ばされてました。で、個人差はあれど皆結構できちゃうのね。骨折した友人とかもいたけど。だから前述の兄姉が通っていたこともあり、それが当然という環境。

 ただし上と違ったのが、毎年2月に開かれる「音楽祭」と呼ばれるイベント(※)があり、泣き出す園児続出の厳しい練習が連日行われる訳なんですが、その中でも独唱を披露する代表者に選ばれてしまったこと。宮城県民会館(現・東京エレクトロンホール宮城)の大ホールのステージで6歳の園児が一人、です。

 思えば幼稚園だけでなく家庭での教育環境としても親の好みだか方針で色々なレコードやカセットテープで音楽にはかなりの密度で触れていたし、兄姉がピアノを習っていた関係でまるで記憶のない乳児期からピアノ教室には連れて行かれてたということで、音感は周囲より秀でていたかもしれません。

 というわけで独唱のための猛特訓が始まるのですが、幼稚園児にはなかなか過酷なものでした。始業前と始業後、暗くなるまでなんてことはなかったと記憶(曖昧)しているけれども、ほとんど泣かない日はなかったですね。幼稚園児に対して「頭の天辺から声を出す」とか普通に言うので(苦笑)。

 最終的には見事にステージを終えることができましたが、この時の体験は本当にその後の人生の糧となりました。糧作るの早いな(笑)。相対的にこの時以上に辛いと思える日々が来るのはそれから20年ほど先の話になるくらい。なんてったって「毎日泣く」ですからねw

 

 (※)現在は東京合同音楽祭。参加しに東京まで行っているそうです(!)当時の正式名称は失念・・・

さてそんな幼稚園時代を過ごした私は小学校でどうなるのか。次回は小学校編です。