バーとお酒の入門講座

バー初心者の方を対象に、バーならではのマナーや楽しみ方、お酒に関する基本や雑学、豆知識を書いていきたいと思います。バーに興味はあるけれど、何だか最初の一歩が踏み出せない、そういう方の一助になれば幸いです。

スペイサイド ㉛ ザ・グレンリベット蒸留所

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The Glenlivet ザ・グレンリベット

エリア: スペイサイド リベット地区
創設年: 1823年
所有者: ペルノ・リカール社
仕込み水: ジョジーの泉

 

 ザ・グレンリベットはグレンフィディック、マッカランとともにシングルモルト、そしてスコッチの代表的銘柄ですが、特に「政府公認第1号蒸留所」としての名声と逸話があるのが他にない大きな特徴です。

 政府公認って何ぞや?という方のために、スコッチの歴史を少し紐解いてみましょう(後日詳しいものを載せる予定です)。

 

スコッチの原型となるもので一番古い文献は1494年に遡り、少なくともその時点で「樽熟成をしない、大麦麦芽を用いた蒸留酒」が作られたことがわかっています。

 その後の歴史ですが、イングランド女王エリザベス一世が子孫を残さぬまま死去したことによりスコットランド王ジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王に即位。両国の同君連合が成立します。

 しかし1688年の名誉革命によりスコットランド王家はイングランド王座からは退きます。これを受けて各地でスコットランド王家の権力回復を狙う反革命勢力であるジャコバイトの反乱が起こるようになります。

 そして1707年、イングランドとスコットランドの2国合同の交渉の結果、イングランド・スコットランド合同法が成立、グレート・ブリテン王国が誕生します。

 

 しかし・・・ロンドンの中央政府はスコットランドのウイスキーに課税を強化。さらにジャコバイトの反乱が1745-46年の大乱をもって完全に鎮圧され、敗北したスコットランドにはバグパイプの演奏やキルトの着用を禁じる弾圧が行われました。

  現在のウイスキーの中心地がイングランドやロンドンから離れたハイランドにあるのはこうした状況のもと、税吏の目を逃れて密造を続けてきたことが背景にあります。ウイスキーを密造することは、中央政府に対する抵抗の象徴でもありました。

 ウイスキーを樽で熟成させることもこの時代に端を発し、摘発を逃れるために樽に隠しておいたウイスキーが長期間忘れられ、後で飲んでみるとまろやかで美味しくなっていることが偶然発見されたといいます。

  こうして18世紀を通じて密造酒がハイランドで広まっていきました。グレンリベットのあるリベット谷には密造酒づくりの一大中心地となり、数百の密造所があったと言われています。そして19世紀に入ると、このリベット谷の密造酒は、時の国王ジョージ4世(在位1820〜1830)の愛飲するウイスキーにまでなりました。もはや密造酒は密造酒とは言えなくなってきたのです。そうした中での1823年、中央政府はウイスキー製造の免許取得料を妥当な金額にし、スピリッツの酒税を大幅に引き下げるという改革を実行ししその免許取得に一番に手を挙げたのが、ジョージ・スミスが創業した「グレンリベット」です。

 

 かくしてグレンリベットは政府公認第1号の蒸留所となりました。

 

 しかし政府公認の蒸留所になったので大手を振ってウイスキーが作れるようになったかというと、そうではありません。数百の密造所があったリベット地区の中で唯一、それまで中央政府への抵抗の象徴だったウイスキー造りを政府の打ち出した懐柔策のもと公認を受けて行うのですから、ジョージ・スミスは密造者仲間から裏切り者の烙印を押され、絶えず命を狙われるようになりました。スミスは護身用に拳銃を携帯するようになり、現在のグレンリベット蒸留所のにはこの拳銃が展示されています。

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しかし、時が経ち19世紀も半ばになると、グレンリベットはモルトウイスキーの代名詞と呼ばれるまでになりました。そのためこれにあやかろうと勝手に「グレンリベット」を名乗る蒸留所が現れました。1870年代にはその数は18。まさに手のひらクルー、というやつです。それまで散々裏切り者扱いしてきたのに売れ始めた途端に偽物が頻発、ではたまったものではありません。スミス家は1880年に訴訟を起こし、4年後の1884年に勝訴しました。以来単独で「グレンリベット」を名乗って良いのは他と区別をするために定冠詞「THE」をつけた「ザ・グレンリベット」だけとなりました。

 

 その後長くスミス家が運営してきましたが1978年のシーグラム社による買収を経て2001年に現在のペルノ・リカール社の傘下となりました。以来グレンフィディックに追いつけ追い越せの増産体制が敷かれ、2015年、ついにグレンフィディックの生産量を追い抜かしスコッチのシングルモルトNo.1の座にまで上り詰めました。

 現在は第二生産棟が完成し、年間1000万リットルを超えるトップクラスの生産量をキープし、さらに第三、第四生産棟の計画もあり、全42基のポットスチルで3000万リットルを目論んでいるそうで、これは2018年に完成した新生マッカランの蒸留所の倍の量です。これからもスコッチ蒸留所のトップ争いから目が離せません。

 

参考文献